大学の片隅で事務職員がさけぶ

小さな大学の事務職員がいろんなことをさけびます

右往左往してるのはなぜ

そろそろどの大学も入試が佳境に来ているころでしょう。

志願者数や実際の受験者数、合格者数、入学手続き者数、辞退数……日々更新される数字にため息をつく人も多いでしょう。私もその数字を毎日見ながら「ああ、この学科は定員割れかな」とか「この学科、なんで今年は人が集まっているんだろう」とか、思うことはある。でも、今から広告を打てないかとか、入試を臨時に実施しようとか、入試担当者は何をしていたのかとか、右往左往している教職員が毎年いる。それが上の人だったりするとやっかいである。

もう、何をしても無駄なんですよ。

今の時点で何かをしたからといって、志願者数が多くなるということはない。一時期は毎日入試みたいなことをした学校もあったみたいだけれど、手間と経費がかかるだけで、志願者の獲得にはけっしてつながらない。

なぜなら、入試とは一年間のPR活動の結果だからである。昔は偏差値だけで入試直前で志望校を決めていた時期もあったが、ほぼ全入の今、上の方の大学以外は、以前から考えていた学校を受けるのが一般的ではないか。オープンキャンパスの参加者数やSNSでのやりとりなどで、志願者数はもうある程度は事前に把握できるはず。そういう意味では「入試担当者は……」とか「PR担当者は……」という話は正しい。だが、経営者は担当者の適性などを把握しているのかなぁ。うちの場合はここ何年も責任者は同じですけど、どういう評価なんだろう。いろんな数字は下がっているんですがね。

マーケティング的には、志願者確保はマスではなく、マンツーマンマーケティング、あるいはダイレクトマーケティングの世界に突入していると思うのだが、そういった知識をもった入試担当者は大学にどれだけいるのだろう。

丁寧なアプローチを継続して続ければ、偏差値などには関係なく、「この大学に入りたい」という学生を確保できる、はずなんですが(前提として、それだけの教育をしているとか、施設をもっているとかも重要ですけど)

大きな大学には、マーケティングの知識を持った人はいるのかな。私も業務外だけれど、マーケティングは専門なのでレポート書いて上申しようかとも思ったが、担当業務外だから受け付けられないだろうと思って、まだ何も書いてない。

といっても、志願者を集めることは、大学を継続させるうえでもっとも重要な戦略であり、うまくいっていない今、こうするといいのではないかという意見はどこかで上申したい。

一部の大学では、日々の志願者数速報をサイトに掲載しているけれど、うちはとてもできない。せめて、掲載できるまでにしないと、あと10年後にはうちの大学は消えているかも、という危機感は、上の人……年齢も高くて退職までに組織存続は間違いないので、どうもないみたい。

そう考えると、私も右往左往したくなるよ。

 

 

大学進学という投資効果

 文部科学省の学校基本調査(速報値)によると、2014年度の高校卒業者の大学・短大進学率は53.9%、大学だけでいうと48.1%だった。専門学校への進学率が17.0%だとすると、進学者は70.9%。国際的にみると、これでも先進国と比べると低い。

第43回 減少する大学進学率 52.2%(2010)→50.8%(2013)〜学位に依存しない社会の到来?〜 | 日本生命保険相互会社

まだ日本の大学進学率は向上する可能性がある、と考える人は、奨学金や大学への補助を高めることを求めている。そうすれば、危惧されている2018年問題による大学経営の危機も回避できる、と考えらしい。 

しかし、そうなのだろうか。

最近、こんなニュースがあった。

奨学金返せず自己破産、40歳フリーター 月収14万円「283万円払えない」 (qBiz 西日本新聞経済電子版) - Yahoo!ニュース

内容が消えてしまうかもしれないので、簡単に書いておくと、日本学生支援機構から高校、大学で無利子の奨学金を借りた奨学金を返還できないとして、北九州市小倉北区フリーターの男性(40)が自己破産。延滞金を含めて約283万円の返還義務が残っていたが、ほとんど返済できず、返還を求めて機構が提訴し全額の支払いが命じられていた。大学卒業後就職できず、アルバイトで生計を立てる生活で、返還期間の猶予も受けたが返せなかったという。収入は月に14万円で家賃や光熱費、家族の仕送りまでしていて、生活費は2万円だったそうだ。

このニュースを読んで大学業界の人はどう思っただろうか。だから給付型の奨学金制度の充実が必要だと思っただろうか。実際にそういう議論をしたり、問題提起をされている人もいる。

 

しかし、このニュースの本質はそうではなく、「大卒」という資格への投資価値ではないかと思う。

このフリーターはもし大学に進学せず、正社員として、いやフリーターとしてアルバイト生活を続けていたらどうなっただろう。高校の時の奨学金は返さないといけないけれど、大学の奨学金という借金も、支払った学費や教科書代なども使わずには済んだはずだから、違う人生であったのではないだろうか。大卒という資格を持っていても、結局は何も役に立たなかった、という事例ではないかと私は思う。

新卒で就職できなかった人は苦労するといわれる。中途採用で正社員としての経験がない大卒は基本的に書類選考で落としているという話を聞いたことがある。

 結局大学進学という価値は、「大学卒業見込み」でいっせいにスタートする就職活動にエントリーできるだけのものなのだろうか。それはかなり投機性の高い投資だ。

一方で私も経験した中途採用では、基本的に学歴(どの大学をでたかも含めて)よりも経験を重視される場合が多いようにみえる。大学事務職員の採用ですら、大学でどんな専攻だったか、どんな論文を書いたのかなどという話題はほとんどない。大学ですら、ほんとは大学で学ぶということを信用してないのではないだろうか。

そんな大卒という資格に400万円以上も投資する価値があるのか。社会人の受け入れを進めようという動きもあるが、なおさら投資価値を考えないといけない。価値のないものにまっとうな社会人は投資しようとはけっしてしないだろう。

 

大学は受験生や社会に対して、400万円以上もかけても学ぶ価値があることをどうやって見せることができるだろうか。これが、今後生き残り競争が激化する大学業界において重要なテーマになるのではないかと私は考えている。

 

さて、自分で振り返ってみて、400万円以上も投資した結果はどうだっただろうか。それ以上のリターンがあったか、あるいはこれからあるのか、これから計算してみよう(どうやって?)。

説明会に参加したけれど

先週、「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業」と「大学教育再生加速プログラム」の説明会に参加してきた。

「無理ですよね」という感じだったけれど、とりあえず誰かが行ってくれば、という感じになり、そうなるとうちでは私が行くのが当たり前、という感じになり、直帰申請で最後の回に参加。

見渡すと年齢層が高い。私のような若輩者は会場のはしっこでおとなしく聞いてました。みなさん全国各地から来たのでしょうね。明らかに地方対象ですから、しかたないのか。

 

「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業(COCプラス)」
以前のものは地域再生・活性化の核となる大学の形成だったけれど、今回は若年層人口の東京一極集中の解消が目的となっている。それにともない、大学の自治体との協働という枠組みから、大学と自治体、複数の他大学、企業、NPO、民間団体とともに「事業協同地域」を形成し、その核として、複数事業所をつなぎあわせ、事業を推進させる「COC推進コーディネーター」を配置するようなことをしないといけないみたい。
 都市圏の大学は、地方の大学や自治体、企業と連携しないといけないようで、そんな伝手もないうちは無理ですね。
 
「大学教育再生加速プログラム」
今年度は「アクティブラーニング」「学修成果の可視化」「入試改革・高大接続」のテーマに即した公募であったが、来年度は「学事暦の多様化とギャップイヤーを活用した学外学習プログラムの推進」のみ募集となる。入学直後に1か月以上の長期の「学外学修プログラム」(長期インターンシップ、ボランティア、フィールドワーク等)を開発・実施する大学のサポート体制整備を支援する。
……ムリですね。 
あ、これを読むようにといわれて見たけれど、ますます無理だと思いましたよ。
 
東京圏の大学には無理なものだということがわかっただけの説明会だった。
たしかに東京圏には大きな大学や学生募集に苦労していない大学がたくさんあるけれど、一方で小規模な大学もたくさんあるんですよね。困っている大学も多いんですよ、ほんとは。
今回の説明を聞いていると、うちのような東京圏の小さな大学は学生が集まる市場はあるのに努力が足りないから苦労しているのであって、だめならつぶれなさい、と言われているように感じた。
……実はそうかなぁ、とも思うけれど、とりあえず定員を満たしているうちの大学はまだ危機感が満ちてはいない。でも、今回の入試の志願状況を観ていると明らかに悪化しているし、定員割れという現実に直面するかもしれない、可能性が高い。
そうなったとき、うちはどうするのだろうか。
改革のための提案書はいくつか書いたけれど、上司の手の中で眠っているみたいだし、こういった競争的資金を導入できないのであれば、独自に何かしないといけないはずなのだけれど、とりあえず定員は割れていないし、財務状況もキャッシュが豊富であるという状況の中で、現実を見ようとしない人が多いのかな。少なくとも役職者や理事の人たちが定年退職するまでは大丈夫そうだし。
だからこそ若手がもっと考え、動かないといけないのだけれど、職場を見渡すと彼らもあまり危機感は感じてないようだ。
 
大学職員への道をついつい見てしまう、私であった。

ドラマを観て考える大学経営

先週、とある人気刑事ドラマで起きた事件は、大学経営を背景にしたものだった。

公園でA大学の教授の死体が発見された。刑事が教授の研究室を訪れると助教から教授が「図書館で大発見をした」と言っていたと聞く。そんな中、刑事は大学の一角で女子大生が大声をあげながら大勢の前で服を脱ぐ不可解な行動を目の当たりにする。不審に思った刑事は彼女を問い詰めると、ネットにあげた問題画像をネタにパフォーマンスをせざるを得なかったという。ほかにもいろんなパフォーマンスをする学生がいたが、実はネット論を教える非常勤講師が実験のためにおこなった行為であった。殺人とは関係がなかった。

殺された教授は大学の経営状態を調べていた。すると、ファンド投資の中で3000万円の赤字を出していたこと、その穴埋めのために図書館の貴重な資料を理事長が勝手に販売していたことがわかる。

……結論としては、犯人は服を脱ごうとしていた女子学生なんだけれど、話の筋はこのさい、どうでもよくて、取り上げるのはドラマで描かれていた大学経営に関する部分である。

1.非常勤講師が新しい学科設立を提案・推進

ネット論を教える非常勤講師が大学にネットに関する新しい学科の設立を提案してそれが進んでいるというのだ。特別な講師ではなく、非常勤は給与が安くてこのままではいられないという話をしていたので、たぶん一般的な非常勤講師を描いたのたろう。非常勤の講師が大学に対して新しい学科の設立を提案して進める、なんてことはあるのだろうか。新しい学科を作るには大学設置基準で定められた専任教員を複数用意しなければならない。一人の講師が学科の専門領域をカバーできるわけもなく、どういった提案をしていたのか興味深いことだ。もちろん、そんな細かい話はでなかったけど。それにしてもずいぶんとオープンな大学だ。

2.理事長と教授の関係

殺された教授は何かというと理事長に大学運営に対して文句を言っていた、という描写があった。理事長室の本棚を観たりするかぎりでは、大学の教員が理事長になったようだ。そういう学校もあるけれど、役職者でもない教授が何かというと理事長室にいって文句をいうなんて状況はあるだろうか。そもそも学長が今回でてこなかったけれど、話からすると学長でよかったのではないか。ただ、お金の話がからむので、経営者としての理事長を出してきた、ように見えた。

3.3000万円の損失

ドラマでみる限りでは学生数も多くとても広い大学だった。ドラマでは投資の失敗で3000万円の損失を出したことになっている。それも極秘に処理を進めていて、教職員は知らないらしい。殺された教授もホームページにあった財務データを知り合いの元やりて投資家にみてもらい、損失を発見した、となっている。でも、公開されたデータを観てわかるくらいなら、誰かが気づいているんじゃないか。それに大きな大学であれば3000万円程度の損失が発生する可能性はあるのではないか。もちろん大学の資金運用は安全第一となっているし、リーマンショックで損失を出した大学も多いから、最近は穏当な運用をしている大学がほとんどのはず。それでも為替の動きなどによって損失は発生する。3000万円程度で騒ぎになるような小さな大学には見えなかったけど。

資金運用も理事長が個人的にできるものではなく、ふつうは運用規定に基づいて行うはずだし、財務部長や担当理事と運用委員会みたいなものを作って運用するのではないか。よほど小さい大学で理事長がワンマンでというなら今も勝手な運用みたいなこともあるかもしれないけれど、ドラマでは大きな大学で理事長も教員から選ばれたような感じだった。そうであれば、簡単にお金はいじれないはずなんだけど。

4.損失の埋め方

ドラマでは3000万円の損失を埋めるため、理事長が図書館に眠っている貴重な資料をどんどん売り払ったということになっている。誰も気づかなかったが、殺された教授はふとしたことで気づく。

でも、理事長がその程度の損失を埋めるために資料を売るなんてこと、できるのか。それこそ、背任行為そのもので損失なんかよりもずっと問題である。図書館の資料も資産として計上されている可能性も高い。

でも、話からすると巨額の損失では図書館の資料売って穴埋めするというのは無理があるから、3000万円程度にしたのかな。

 

……と、ドラマをさっと観ただけでもこれだけ、つっこみどころ満載であった。おかげでストーリーをわすれてしまうほどであった。ドラマの場合監修をいれると思うけれど、大学経営のプロを監修には入れなかったのか。それとも1時間ドラマの中で事件を起こして複数の怪しい人を配して、犯人は誰だろうと視聴者に思わせながら話を進めるのは大変ということだろうか。

今考える、きちんと録画して分析しながら見ればよかった。なので、ここで書いてあることは事実誤認があるかもしれません。そのうち昼間に再放送されると思うので、そのときにでも確認してみてください。

いつもより早い説明会

先週、いつものメルパルクホールで開催された大学設置等に関する事務担当者の説明会に参加してきた。今のところ何も予定はないけれど、毎年うちからは誰かが参加していて、ここ数年はずっと私。いつもは3月の初めで仕事も落ち着いたときなので散歩気分で参加するのだが、今回は時期が早まっていろいろとあわただしい中職場を出て、ランチもそこそこに会場に入った。

ほぼ満席の会場を見渡すと、8割くらいは男性だろうか。若い人もいるけれど、年配の人も多いがその人たちは事務担当者ではなく責任者なんじゃないかという感じの人も多い。

なんとなく居心地が悪いのはいつものとおり。かといって、2人で参加できるほどうちには人的余裕もなく、一人でしっかりと聴かないといけない。

でも、基本的には資料の内容どおりの話だったので、申請の日程が大きく変わったり、必要な書類が多少増えたりという話はそもそも今回関係ないし、とくだんメモをとるようなこともなく、思わず気が遠くなってしまうのをこらえるのが大変だった。

目が覚めたのは休憩終了後の「大学のガバナンス改革に関する学校教育法改正について」の話。今はもう文科省のサイトに公開されているが、各大学からの問い合わせをもとに「内部規則の総点検・見直しにおける留意事項」をあらたに公開するという話だった。何を相談することがあるのだろう、と思って話を聞いていたら、自分というかうちの大学が思い違いをしていた部分があることがわかってちょっとあわてた。こうやって細かく情報を提供してくれるようになった文科省に感謝です。

 

今回の説明会で実は心が痛くなった出来事があった(本日の主題)。

それは質疑応答のときである。一番最初に質問したとある女子大学の方の質問を聴いて心が痛くなった。

実は最初、何をいっているのかよくわからない、要領の得ない質問だった。だから回答しようとする文科省の人も戸惑っていたように見えた。

簡単に言うと「収容定員の減だけをしようとしているが、学生確保の見通しを示すアンケートなどの根拠資料を添付しないといけないのか。学生確保の見通しといわれても、教授会もいろいろとうるさいので、資料と言われても難しい」といった趣旨の話、だったと思う。

それに対する文科省の答えはアンケートは必須ではなく学生確保の見通しを客観的に見通せるデータであればよい、という話であった。文科省は言明しなかったけれど、資料を読む限りでは、収容定員を変更する学部等の入学志願状況をつければよいのではないかと思った。

……いえ、何が心が痛かったかというと、この女子大は収容定員を減らすだけなんです。減らした定員を違う学部に付け替えるとか、新しい学科を作るわけではなく、減らすだけなんです。この大学の情報の公開のページを探すと……とても探しづらいのですが、そこを観ると収容定員2000名に対して在学生が約1200名となっている。それくらいだとは思っていたので、心が痛かったんです。

 

他人事ではないんですよ。

うちもトータルでいうと定員はほぼ満たしているけれど、個々の学科をみると、差がある。現在の志願状況をみる限りでは来年度はかなり危機的な状況である。収容定員を減らすことで補助金の減額率を抑えるという選択肢も当然考えられる。実際に起案もしているが、定員を減らすという選択は大学としてなかなかできないものらしい。

その女子大はあえて定員を減らそうとしている。そういった状況をみて、心がいたくなったのだ。そして、女子大なのに質問した人……それもなぜか二人で一つの質問をしていたのだが、遠くから見た限りではかなり年配の男性だった。

 

帰り、いつものように増上寺によって参拝した。

もちろん願い事は一つ。

 

「定員が埋まりますように」

 

 

IRという言葉は

うちの職場ではほとんど話題にもなっていないけれど、業界的には話題になっているIRですが、働いている業界によって意味が違う。

 

一番世間に浸透しているIRは、「Investor Relations」のことである。「企業が株主や投資家に対し、投資判断に必要な情報を適時、公平、継続して提供して行く活動全般を示します」(日本IR協議会「IRの定義」)ということで、株式投資をしている人や企業で働いている人にとってはよく知る言葉でしょう。私の専門もどちらかというとこちらのIRなんで、広報系なんですけどね、もともと。

あと、最近話題になっているIRは「Integrated Resort」である。統合型リゾートといわれるカジノを含んだ大規模リゾート施設のことで、日本でもカジノ推進法案が作られるなど、日本でも導入が計画されている。どちらかというと、私はこっちのほうが興味はある。シンガポールセントーサ島とか、楽しいですよね。カジノにいかなくてもさまざまな娯楽施設が集められていて、子供からお年寄りまでいろいろな人が楽しめるように作られている。

で、最後がうちの業界でいわれているIR「 Institutional Research 」。大学IRコンソーシアムによれば「本来、教育、経営、財務情報を含む大学内部のさまざまなデータの入手や分析と管理、戦略計画の策定、大学の教育プログラムのレビューと点検など包括的な内容を意味しますが、我々の連携事業では、教学に特化したIR活動に焦点を置いて、連携事業を進めてきました。ここでは特に、①個別大学内での改善のための調査・分析と、IR先進国ですでに行われている②ベンチマーキングのための複数機関間比較や全国調査による自機関の相対的な位置付けのための調査・分析という両方のIR機能に注目しました。連携事業で行ってきた「IRを通じての相互評価」の主要な課題は、この②ベンチマーキングのための複数機関間比較を通じて、教育課程の充実へと結びつけていく質保証の枠組みの整備です」と掲げられている。

 

最初にInstitutional Researchのことを知ったとき、実は私、理解できなかったんです。つまり「マーケティング」とどう違うのか、と思ったのである。前職では広報兼マーケティングみたいなことをしていたんですが、それとどう違うのか、なんであえて「Institutional Research」というのだろう。

一般的にマーケティングという言葉は宣伝や販売促進活動を指すと思われているが、本来は商品などの企画や開発から調査・分析、PR、流通、販売場所、営業、接客対応、顧客管理や情報分析・管理など幅広い活動、なんだけれど、日本の企業ではそこまで包括的な活動としてとらえているところはそんなに多くないのかな。

マーケティングとは「顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり、一連の制度、そしてプロセスである」とアメリカマーケティング協会では定義されているが、団体や人によって定義は違うので断定的にはいえない。でも、IRってそういうことなんじゃないかと思って、何が違うのだろうと思ったのだ。

IRの場合はことばのとおり、教育に関するデータを主に扱うものであり、分析の手法が違う、のかもしれないが、マーケティングだって業界によって扱うデータや分析手法も違うのだから、それをもって違うとはいえない。

IRについて調べると、やはり定義がはっきりしていないようだ。ただ日本の場合は大学IRコンソーシアムが掲げているとおり、教学に特化している場合が多いようである。そこまでいくと、やはり違うのか。

ただ、マーケティングとIRで決定的に違うものがあると最近気づいた。

それはマーケティングの場合、目的がはっきりしている。ある商品を作るためにさまざまなデータを分析して企画をつくり、市場調査や顧客調査をして分析し売れる可能性を図る。それに対してIRは……いくつかの文献やホームページなどをみた限りだが、目的がはっきりしていないように見えた。つまり、学内にあるデータの分析ありきで、その結果見えた傾向から考える……たとえば退学者の原因を読み解いてその対策方法を考えるとか、ある進路をとる学生がどういった活動を学内で行ってきたとか、簡単に言うと消極的に感じるのである。

マーケティングは目的がはっきりしているので、そのためにどういうデータにあたるのか、顧客データの何を分析するのかというがだいたい明快であり、あとは分析手法やその結果をどう目的に結びつけるかということが重要となってくる。

そこが違いなのかな、と最近感じるようになった。

昨年、補助金の調査項目にIR専門の部署を作ると得点が加算されるというものがあって、そのときになってうちの学校でも話題になったが、上の人たちのだいたいの反応が「で、IRって何に役立つの」という疑問だった。それに対して誰も明快に答えることはできず、うちの学校でIR専門部署が作られることはなかった。たぶん来年度も作られない。

大きな大学であれば、データを分析することを主とした部署を作るのもいいだろう。でも、小さな大学でIRの専門部署を作る必要があるのだろうか。これからの業界的危機の前にIRは必要だという論調を見かけるが、目的や効果もはっきりとしていないものを作る余裕がある大学がどれだけあるのかを考えたほうがよいのではないか。

私としては「Institutional Research」の部署よりも、大学は「Investor Relations」の部署を作って、外部からの寄付金導入や企業との共同研究推進のための情報提供や、保護者や学生、受験生やその親、高校などへの情報発信に力を入れたほうがずっと大学のためになるのではないかと思う。

どちらかというと、そんな部署をうちにつくりたい。

長い休みには

大学職員の休みは長いといわれている。

教員は学生と同じ時期が休みになるので「長いなぁ」と思わないでもないが、ほとんどを研究にあてているはずなので、実際の休みは……教員によって違うか。

職員の場合はどうだろう。うちの場合は夏はお盆の一週間で、冬休みも27日の土曜日から1月4日の日曜日までで、ふつうの会社と同じだけれど、大学によっては冬は20日からずっと休みの人もいるらしいし、夏休みもかなり休んでいたり、春休みがあるなんてところも聞いたことがある。

そんなに長く休みがあっても、やることに困らないのかなぁ。仕事もたまるんじゃないかなぁ、と思う。先週末には学振から知の拠点の審査結果がメールで届き、関係者に転送したり、結果から来年どうしようと考えて調べものをしたりして時間をつかってしまった。文科省も選挙や補正予算の関係で年末も忙しかったようである。大学職員もほんとは新年度に向けてやることがあるんじゃないかな、とは職場ではいえない。みんな休みを楽しみにしているもの。

大学職員は長い休みに何をしているのだろう。

私も昔は旅行にいったりしたけれど、友達と予定をあわせるのも大変だし、あちこちいけるほどボーナスも多くはないので、ここ数年はおとなしくしている。今は実家にいて遠くで紅白歌合戦を聴きながら、書いている。

遊びも大切だし、私だって予定はいくつか入れている。家族サービスもしないといけない。

でも、同時にインプットする貴重な時間でもあると信じたい。ふだんはどうしても仕事に追われて、家に帰ってまで仕事関係の情報を目にしたくないので何もしないでいるわけで、そんな私には休みのときこそ、本を読んだり、大学職員の方が書いているブログなどを拝読したり、いやもっと広い分野で情報を収集して考えないといけないのではないかと思う。

すぐそこに危機がある。それを大学や自分自身が乗り越えるには、結局は自分の能力や知見を養わないといけない……というか、それくらいしか私には武器はないようだ。

いろいろな大学職員の方がブログなどで書いていることをみていると、そう思っているのは私だけではないな、と思うのだ。

このブログも自分の考えをまとめるためのツールとしてはじめたような部分もあるので来年は本格的に書きたいと思う反面、1月はいろいろと忙しいので、2月以降かな。