大学の片隅で事務職員がさけぶ

小さな大学の事務職員がいろんなことをさけびます

修士論文とは何か

山口県下関市の市長が、下関市立大大学院の経済学研究科に提出した修士学位取得に向けた論文が不合格になったというニュースがあった。

それを聞いたとき、設置者である市長の政策が気に入らないから教授会は不合格にしたのか、と最初は思ったが、いくつかの記事を読むと、「あれ、何かおかしいぞ」と考え込んでしまった。

下関市長“サクラ散る” 市立大「修士論文」不合格 情報公開請求へ (産経新聞) - Yahoo!ニュース

1.修士論文なのに500ページもあること。

それも正式な修士論文ではなく、その代わりとして当該大学で認められている「特定の課題についての研究の成果」として書いたらしいが、それでもあまりにも量が多い。通常、社会科学系の修士論文は多くても100ページ程度らしい(私はそう指導されたよ)。多いということは、不必要な引用がとても多いか、根拠資料などが整理されていないのか、論文としてもまとまっていないという印象を受ける。

 

2.実務者としての経験や人生論を盛り込む?

社会科学とはいえ「科学」であり、エビデンスに基づく記述が求められるもの、ですよね、論文って。経験も重要だが、それを過去の研究との比較や検証可能な材料を提示することによって初めて「研究」になるわけで、実務者としての経験や人生論なんて書かれても、研究者の視点からすれば、エビデンスが不明確という評価になるんじゃないか。

 

3.指導教員はどうしていたのか

この市長には当然指導教員がいたはずだ。ちゃんと指導をしたのだろうか。本人が「落とされる人は、体裁や外形的におかしい例が多いようで、私の論文の中身が理由ではないだろう」と言っているように、修士論文で指導教員の指導に基づいて書かれたものが不合格になることはほとんどないだろう。500ページという量の多さや実務者としての経験や人生論が盛り込まれたというのであれば、指導教員の指導を訊かないで書いたんじゃないだろうか。社会人大学院では、指導教員と意見が合わずにほとんど指導を受けないまま勝手に書いて提出する、という事例もわりと存在する、らしい。その結果、体裁や外形的におかしいものがそのまま提出され、不合格になってしまうこともある。今回はなんでだろう。

 

4.教授会の決定

研究科長は「合格に必要な委員会出席者3分の2の賛同を得られなかっただけ。内部ルールにのっとった判断だ。論文の中身についてコメントしない。不合格はしょっちゅうあることではない。結果を不服としての情報公開請求も聞いたことがない」といっている。学校教育法が今年の4月から改正されると、教授会はあくまでも意見を述べるだけで学長が決定をすることになっている。いや、今の学校教育法も最終的な責任は学長である。4月以降、こういうことが起きたら、どういうことになるのだろうか。

もう一つ気になるのは、不合格はよほどのことであり、少なくとも本人には理由を説明するものである。それを「委員会出席者3分の2の賛同を得られなかっただけ」というのは、教育者としては問題なのではないか。教育研究を指導する者としては、たとえ相手が市長であっても説明する責任はあるのではないか。

私がもし提出した修士論文が不合格となり、その理由を説明してもらえなかったとしたら、情報公開を請求するだろうし、裁判だって起こすかもしれない。いや、大学としては説明する義務があるのではないかと思うのです。

 

5.設置者が学生

市立大学なんで、設置者は市で責任者は市長。法律上は市長が積極的に介入する権限はなく、理事長を任命するなど限られているけれど、受け入れる教職員は困っただろうことは想像できる。

マンガなどではよく、高校の生徒が実はその学校の理事長の息子で、とか、大学の学生が理事長でとか、そういった荒唐無稽てせおもしろい話はあるけれど、実際に設置者が学生としてやってきたら、教職員は大変だろう。もちろん特別な配慮をする必要はないが、そもそも市長自身が自分の立場を考えて、私立・国立大学に行けばよかっただけのことである。

実際、違う私立大学で修士をとっていて、そこに今回の論文を持ち込んで博士論文にしようかと言っているくらいだから……。

 

6.修士論文を博士論文に?

「さらにブラッシュアップして博士論文にできないか相談に行った」と市長は修士課程を修了した私立大学に相談したらしいが、大学側は「指導できる教員がいれば引き受けて検討することもあるが、具体化はしていない」と回答したという。

下関市長、不合格の論文を今度は私大に 「博士可能か」 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

しかし、違う新聞では「他大学の修士課程に出した論文を受け付けるわけにはいかない。博士号取得には博士課程に進むことが必要だと話した」と私立大学は回答しているという。

市長不合格論文、他大学に自薦…「博士論文に」 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

大学教員の研究業績を観ると、修士論文をもとに査読付き論文としてブラッシュアップして学会等で発表する場合が多いように見える。修士論文そのものが評価されることは、よほどの内容でない限り難しいのではないか(私の感覚ですが)

博士論文を書くときの材料として修士論文を引用することは当然あるわけですが、それをブラッシュアップして博士論文にすることは、難しいのではないか。博士論文がどれだけハードルが高いものなのか、もし市長が修士課程においていろいろな論文などを読んで学んでいれば、「博士論文にできるかな」とは思わないのではないか。そういう意味では、ちゃんと授業で学び、指導教員の指導を受けていたのか疑問である。

 

報道内容だけしか情報がないので、それを見たかぎりの感想レベルの話になってしまうが、今回の話は大きく分けて2つの問題があるように感じた。

一つは、学校教育法の改正とのからみである。4月の改正後、同じ問題が起きたときに、この市立大学の対応は何か変わるのだろうか。不合格だった理由をきちんと説明してくれるのだろうか。

もう一つは社会人が大学院に進学し学んで修士論文を書く意味である。社会人は学問を究めるためではなく自分の能力を高めてキャリアアップを目指すために入学する人が多いと思われる。ということは市長のようにアカデミックな観点よりも自身の経験に基づいた学びを進めるはずだ。その成果である修士論文をアカデミックの教員がどこまで評価できるりのだろうか。いや、何を評価するのだろうか。

 

今回のニュースは、そういった問題提起でもあるように感じたが、職場で話題になったのは「修士でも単位取得満期退学ってあるんだ」という話だった。

たしかにそんな事例は聞いたことがないけれど、そういうこともあるんだ。あるんですね……。